千川ハウス

senkawa house

text by Kanako Satoh
photo by Hirotaka Hashimoto

千川ハウス

家は、人生の“連れ合い”。
60代夫婦の、街とつながって暮らす生き方

「人生100年時代」と言われる昨今。最期のその時まで長く安心して暮らすために、住まいに必要なものは何だろうか。板橋区の住宅街に建つ「千川ハウス」の住まい手は、68歳の嘉山隆司さんと62歳の明美さんご夫妻。隆司さんの実家があった土地を相続したことを機に家を建て、それまで住んでいた練馬区のマンションから住み替えた。二人が望む生き方を映し出した住まいには、人生を豊かに生き抜くヒントが詰まっていた。

straight design lab | senkawa house

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ガラリ戸の付いたガラス引き戸が出迎える「千川ハウス」。その横には小さなカウンター台が付いた窓があり、その前にはベンチ。隆司さんは現在、中野でカフェを運営しており、いずれはこの自宅で小さなコーヒースタンドを開業したいと、1階に喫茶スペースとなる土間と小さな厨房を設けた。4面のガラス引き戸は開放的で街に開かれた印象だが、駐車場を兼ねるポーチが通りとのあいだに心地よい距離感を生んでいる。

「私たちは子どもがおらず、以前住んでいたマンションでは地域とのつながりがほとんどない生活をしていました。そんな暮らしをしていて、もし災害が起きたら、誰と助け合えばいいんだろうと考えていたんです。ここは生まれ育った土地ですが、近隣は建て替えが進んで、昔馴染みは随分少なくなりました。この土地での人間関係をつくり上げながら、地域に根付いて生きていけるような家にしたいと思っていました」(隆司さん)

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そこで思いついたのがコーヒースタンドの併設だ。周辺は飲食店が少なく、喫茶店もない住宅地。地域の人が気軽に立ち寄れる場を自宅に設けることで、暮らしのそばにコミュニティをつくれたらという意図だ。コーヒースタンドの併設にあたっては飲食業の営業許可も取得し、酒類の提供もできるようにした。2021年5月現在は新型コロナウイルスの感染拡大もありまだ営業を開始していないが、状況が落ち着いたら不定期開業から始める計画だという。

「営業していなくても、自分がこの土間でお茶していたら、通りがかった近所の人が寄ってくれるような、そんな場所になったらいいなと思ってます。出入り口を大きなガラス引き戸にしたことには思わぬ効果もあって、夜に土間の照明が点くと、表の通りも明るくなって安心できるとご近所さんに感謝されたんです。また、この家にはもともと井戸があったんですが、災害時に役立てばと、通り側に引き直しました。自分たちの安心のためだけでなく、地域の人たちのためにもなる場所になったら、うれしく思いますね」(隆司さん)

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カフェ運営に携わる前は、自治体職員として福祉の仕事をしていた隆司さん。定年後に始めたカフェ運営も、その仕事でできた縁から携わることになったのだそう。現在もカフェ運営の傍ら障害者福祉の相談支援専門員として働いており、そうした経験もあって、「この先夫婦どちらかが一人で暮らすことになっても、孤独にならない家にしたい」というのが、嘉山さんご夫妻の基本理念だった。そのために「外と繋がる」という考えは、住居部分にも現れている。リビングダイニングは土間から連続するように配置されており、仕切りのガラス引き戸を開けると、ガラリ戸越しに通りの気配がほどよく入り込んでくる。

「土間部分は、店というよりも昔の家の土間をイメージしていました。最近の家は、家の中に入ると外と遮断されてしまう造りが多いですよね。そんな家だと、この先ひとりになった時、家の中で何か起きても外にはわからない。沖縄の民家のような、寝る時しか戸を閉めないような、外と繋がった家を望んでいました」(明美さん)

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1階住居部分の建具はすべて引き戸で、サニタリー以外には引き戸がないオープンな間取り。寝室からサニタリーに直行できる動線もつくった。寝室のベッドは「介護が必要になった場合も寝起きがしやすいように」という嘉山さんご夫妻の要望で、縦に2つ並びに配置。下部収納のない洗面台は車椅子を使うことになっても使用しやすく、トイレも個室化せずにサニタリーと一体にしている。

「将来を考えて、1階で生活が完結できるようにしてもらいました。また、妻のリクエストでソーラーシステム“そよ風”を入れました。今、住んで一年ちょっと経ったところですが、夏は涼しいし、冬はエアコンもストーブも要りませんでした。それ以外で住居部分で僕が求めたことと言えば、あまり出掛けられなくなっても自然が見れるように庭が欲しいとか、お風呂から庭が見たいとか、それぐらいでしたね(笑)」(隆司さん)

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住居部分のキッチンは、以前の住まいで慣れ親しんだこともあり、L型の壁付けキッチンの独立型にした。コーヒースタンドの厨房ともつなげたのは、ストレートデザインラボラトリーからの提案。親族や友人が集まった際に、土間をセカンドリビングのように使うことも考えての配慮だ。キッチンからコーヒースタンドの窓越しに外が伺えるのも、窓からご近所さんがひょっこり顔を出すシーンが想像できる。

「大きな皿をたくさん持っているので、シンクは広めにして欲しいとリクエストしました。横幅たっぷりの引き出しは収納したものを一覧しやすくて便利です。これはcampの大原温さんが造作してくれました。Tsé&Tsé associéesのキッチンラックは海外から輸入して、取り付けてもらいました」(明美さん)

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一方、2階はどうなっているのかというと、こちらにも「誰かとつながる」ための仕掛けが。2階のフロアの半分は1LDK+ロフト収納付きの賃貸空間になっており、住居や事務所として貸し出せるようになっている。賃貸部分へのアクセスは外階段からだが、2階のデッキは嘉山さんご夫妻の住居部分と共用。互いの生活が適度に感じられる工夫がなされている。

「コーヒースタンドもですが、この賃貸も収入が目的ではなく、誰かとつながりを得るため。今は自己使用していますが、いずれ貸し出した時は、訪問介護サービスの事務所が借りてくれたらうれしいな(笑)。とにかく“閉じない家”にすることを望んでいました。今すぐ賃貸するのではないにしても、こうした可能性をつくっておけば、家の可能性が広がりますから」(隆司さん)

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2階のもう半フロアは、沖縄三線の教室を主宰している明美さんのスタジオ兼書斎。以前は隆司さんが運営するカフェで教室を開いていたが、自宅でできるようにと防音仕様のスタジオをつくった。もともと伝統芸能の分野でライターとして活動していた明美さん。書籍やCDを多く所有しており、それらの資料も楽器もすべてこのスタジオに収蔵している。

「ライターの仕事で日本各地の伝統芸能に興味を持つようになり、中でもライフワークになったのが沖縄民謡でした。コロナ禍の今はリモートで教室を開いています。私は日中はこのスタジオにいることがほとんど。ちょっと休憩できる場所が欲しいなと思って、ニッチ状のベンチを造作してもらいました。ここで本を読んだりして過ごすのが好きですね」(明美さん)

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蹴込のない階段やガラリ戸、ルーバー引き戸が、光や風を取り込む“外”を感じる空間。ガラリ戸とルーバー引き戸は愛猫が外に出てしまわないようにしつつ、窓を開けられるようにという配慮でもある。夫、妻、猫、今とこれから。それぞれの安心と心地よい過ごし方を叶えた住まい。家は、住む人が思い描く“生き方”の実現をサポートする“パートナー”だということを、実感させられる。

「夫は定年後も忙しくしているので、家にいるのは休みの日ぐらいなのですが、家の中での互いの距離がずっと近いというのは、ちょっと辛い(笑)。この家は、互いに違うことをしながら過ごせるのがいいですね。できたら最期の時まで、この家で暮らしたいと思っています」(明美さん)

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