茅ヶ崎フラット

chigasaki flat

text by Kiyo Sato
photo by Hirotaka Hashimoto

茅ヶ崎フラット

たくさんの旅の思い出とともに、
海辺の街で人生を再スタート

キューバ、ブラジル、メキシコ、アラスカ、イギリスーー。20代で初めて海外を訪れて以来、バックパックを背に世界各地を旅してきたEさん。そんな旅先で集めた思い出の品々に囲まれながら、昨年、海辺の街で新たな暮らしを始めた。都心の賃貸マンションで長年暮らしてきたEさんが新たな拠点に選んだのは、茅ヶ崎市内に立つマンション。海が好きで、気の合う友人も多く住む湘南への移住は長年の夢でもあったという。

「国内外を旅したり、音楽ライブやミュージカルに足を運んだり、昔からアクティブに動き回るのが好きでした。40代の時に会社を辞めてフリーランスになったのも、気兼ねなく長期の旅に出られるから。でも年齢と共に面倒に感じることが増えてきて、興味が薄れていく焦りもありました。このままでは夢だった海辺の暮らしやリノベーションも、気力が失せて実現できないかもしれない。だったら“その前に動かないと!”と、自分に呪いをかけたんです(笑)。年を重ねて東京という街に魅力を感じなくなったことも大きな理由で、コロナ禍で高まった閉塞感も背中を押すきっかけになったと思います」

日課のように不動産サイトを眺めていたものの、仕事の忙しさもあり計画はしばらく棚上げに。「とにかく計画性がないんです(笑)」というEさんだが、ある日突然「見に行ってみよう」と思い立ち、一気に計画が動き出した。江ノ島電鉄沿線などエリアを変えて検討するなかで、“広さのある角部屋”という譲れない条件と予算に見合ったのが、海まで歩いて行ける築55年のヴィンテージマンション。もともと2戸だった住戸をつなげた角部屋は、広さ118㎡の2LDK。L字型のバルコニー越しに望む見通しの良い眺望も大きな魅力だった。

「モノが多いこともありますが、とにかく広さがないとダメで。その点では条件に合っていましたが、室内はかなり傷んでいてカビもひどく、サッシも傾いていたんです。正直、“本当にここに住めるの?”と思うくらい。もっと築浅で資産価値のありそうな物件とも迷いましたが、なんせ私は好奇心旺盛なタイプだから(笑)。不動産に詳しい友人からの後押しもあって、最終的にここに決めました」

straight design lab | chigasaki flat

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設計事務所数社に声をかけてコンペを実施。そのなかで選んだのが、ストレートデザインラボラトリーの東端さんだった。過去に手掛けた「原宿フラット」や「五反田フラット」の多国籍な雰囲気が好みに合っていたという。

「既存の間取りは、玄関の正面に浴室・洗面・トイレが一体化した水まわりがあって、廊下も狭く、暗くてゴチャっとした印象でした。せっかくの広さが活かされていなくて残念だなと。水まわりの配置は大きく変更できないと思い込んでいて、半ば諦めていたんです。でも東端さんの提案では、もともと水まわりが東西2カ所あった間取りを活かして浴室をもう一方に移動させることで、その問題を解決してくれて。自分にはないアイディアだったし、設計をお願いする決め手にもなりました」

今回の計画ではスケルトンにし、間取りやインテリアの刷新と建物自体の老朽化を解消した。問題だった玄関まわりには広々とした土間のエントランスホールを設け、扉で仕切れるシューズクロークを併設。その正面には、Eさんの要望で明るくオープンなパウダーコーナーとフリースペースを配置。ゲストルームや旅の思い出を飾ったギャラリーなど、多目的に使える場所にした。こうして東側をゲストと共有するパブリックな水まわりとして整える一方で、西側はコンパクトな浴室と洗濯機を置いた家事室に。用途ごとに水まわりを完全にセパレートし、既存の構成を活かしながら課題をクリアした。

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玄関のある前室を抜けると、視界が一気に開け、開放感たっぷりのLDKが広がる。「とにかく大きなワンルームにしたかった」という希望から、奥行き約13mの南側一体を生活の中心に。バルコニーに沿って東から西へ、リビング、ダイニング、対面キッチンが並び、在宅ワーク用のデスクとベッドを置いたプライベートスペースがひとつながりになっている。どこにいても視線が抜け、ダイナミックな広がりを満喫できるプランだ。ベッドの奥には、大容量のWIC、浴室+家事室といった機能を併設。既存の建具をリメイクした引き戸で仕切ることで、一室空間にもセパレートにもなるフレキシブルな仕様とした。 

「これだけ広いので、間取りや動線を細かく考えるというより、素敵な“箱”さえあればいいという感覚でした。家具や照明で後からいくらでも味付けできるはずだと。キッチンは壁付けの想定でしたが、コストはあまり変わらないと聞いて対面式に。結果的に、窓の外の景色を眺めながら料理ができる特等席になりました。このキッチンや背面の収納をはじめ、リビングやWICなどの造作収納は、収納する物に合わせて柔軟に調整できるようすべて可動式にしてもらいました。緻密につくり込むより、ラフに使える方が自分には合っていてとても快適です」

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老朽化していた窓は、カバー工法によって高性能なサッシに交換し、壁には断熱材を充填。広い面積でも快適な室内環境を確保している。一方で、その広さゆえにかさみがちな施工費は、内装材の種類を極力絞ることでコストを調整した。床は大部分に古い足場板を加工したフローリングを採用。キッチンはムラのある茶色のハニカムタイル、玄関まわりはモルタル仕上げに。壁はやや黄みを帯びた白で塗装し、プライベートスペース側の天井は躯体を現しにするなど、素材の質感で緩やかにゾーニングした。

「自分の好みに合う床と壁、そして好きな照明があればそれだけで十分だなと。昔からピカピカの新品より、味わいのある古いものが好きだったので、床材は絶対に古材と決めていました。玄関まわりも最初は、セメントを使った人工的な素材だったのを、ざらっとした質感のモルタルに変えてもらいました」

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内装材の種類は絞りつつ、アクセントとして取り入れたのが、Eさんがもともと好きだったタイル。キッチンや水まわりなど限られたスペースで効果的に使うことで、空間全体の統一感を損なうことなく、場所ごとの個性を引き立てている。なかでも印象的なのが、キッチンの壁柱に用いたモロッコ製のセメントタイル。昔ながらの製法でつくられた、Popham Designのもので、グリーンとクリームの色使いと幾何学的なパターンがアクセントに。隣接するプライベートスペースとのゾーニングにも一役買っている。

「東端さんから“愛着が持てるようなポイントをつくりましょう”と提案されて。それならばと、思い切ってモロッコから個人輸入してみたんです。現地から事前にサンプルを取り寄せたりと、やり取りはやや大変でしたが、その分愛着もひとしおでとても気に入っています」

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海外での滞在経験が空間づくりに影響しているというEさん。「特に私が好きな南米では、原色同士の組み合わせなんて当たり前なので、“何でもあり”という感覚が自然と身についていて。小さなスペースだからこそ、冒険してもいいかなと思えました」

そんなEさん宅で、訪れる人が一様に驚くのがトイレ。壁全面に選んだのはイギリス・Osborne & Littleの黄色の壁紙。大好きなハチドリが舞う華やかな柄に、ポルトガル語で“SAUDE(乾杯)”と記された黒と白のモザイクタイルを組み合わせ、個性の光る空間に仕上げている。さらに、玄関正面のパウダーコーナーの壁は、PORTER’S PAINTのバーガンディ色をDIYで塗装。SNSで偶然目にしたAesopのスペイン店の空間に惹かれ、自宅でも再現したという。固定概念にとらわれず、インテリアを自由に楽しむEさんの姿勢が随所に表れている。

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そんなEさんの感性は、各部屋のディスプレイやウォールデコレーションにも。たとえば、フリースペースの棚はアラスカ、ボリビア、メキシコとコーナーごとにテーマを分け、ワークスペースはブラジル、ベッド近くの棚はキューバ、リビングの壁一面に設けた棚は多国籍と、国ごとにゾーニングされている。旅先から大切に持ち帰った食器や小物、アートに加え、海辺で拾った小石や記念に収めたフィルム写真も並び、ただ眺めているだけで自然と気分を高めてくれる。

「どれもどこで買ったか覚えていて、一つひとつに思い入れがあります。家の中を巡るだけで、まるで世界を旅しているような気分になりますね。賃貸の時はどうしても制約がありましたが、今はアートを壁に掛けたり、ペイントを施したり、自由に楽しめるのがうれしいです」

こうしたディスプレイに加え、空間全体をかたちづくる大切な要素の一つが、アンティークを中心とする照明の数々。天井にはあえてダウンライトを使わず、ダクトレールを通すことで、好きな位置にペンダントライトを吊るせるように。さらに、壁づけのブラケットライトも随所に取り入れて、空間ごとに演出している。

「昔から蛍光灯の明るさが苦手で。広さがある分、数も多いのですが、全部つけても全然明るくないんです(笑)。だからこそ、夕暮れの移ろいと共に、昼間とは違う雰囲気が楽しめます」

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「この物件が自分にとって運命的だったと思うのは、あらゆるものがシンデレラフィットしたこと」と語るEさん。10年以上前に購入したハンス・ウェグナーのソファをはじめ、ヨーロッパ各地や日本の骨董品などアンティークの家具がほとんど。長い時間をかけて少しずつ集めたものたちが、自然と今の暮らしに馴染んでいる。

「世間では断捨離が流行っているけど、そもそも好きなものしか持っていないので、私は“反・断捨離派(笑)”。リビングのラグなんて、20歳の時に初めて訪れたイスタンブールで買って、ずっと倉庫に眠っていたもの。それを今回、数十年ぶりに広げてみたら、まさにサイズも雰囲気もピッタリで、改めて“捨てずに取っておくものだな”と実感しましたね」

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「暮らし始めてようやく1年が経ち、近所にお気に入りのスーパーや飲食店も見つかって、この街に少しずつ馴染んできました。それに野菜も魚も新鮮で、美味しいんです。これまで料理は簡単にすませることも多かったのですが、新しいキッチンを前に料理熱が再燃して、毎日の食事の支度がちょっとした楽しみになりました。東京ではずっと仕事中心の生活でしたが、今はようやく暮らしのリズムが整ってきた気がしています」

これまでの旅や出会い、時間の積み重ねが、住まいのすみずみに息づいている。ようやくたどり着いたこの場所で、Eさんの第二の人生は穏やかに、そして確かに動き始めている。